続き・「もうゆるして」結愛ちゃん虐待死
「もうゆるして」結愛ちゃん虐待死で探偵が見抜いた一家の真実
死亡した女児が遺した、ひらがなだけのノートが日本中に衝撃を与えた「目黒虐待死事件」。多くの虐待問題を解決に導いてきた、現役探偵の阿部泰尚(あべ・ひろたか)さんは、自身のメルマガ『伝説の探偵』で、報道前に阿部さんが把握していた今回の事件の背景と、過去の虐待の事例などを分析しつつ、これ以上同じような被害を増やさないために、行政、児童相談所、民間企業、そして私たちができることについて提言しています。
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事件の概要
東京目黒区のアパートで、船戸結愛ちゃん(5歳)が虐待により3月2日に死亡した。死因は、肺炎による敗血症であり、継父である船戸雄大、実母である優里は警視庁に逮捕されている。
もともと、香川県善通寺市に住んでおり、この時から児童虐待があって一時保護を受けていたが、2018年1月に目黒区へ転居した。各種報道によれば、2016年に県の児童相談所が虐待を通報により認知、簡易の経過観察となったが、同年9月に雄大氏と優里氏の間に子が誕生したことで、より観察すべきということになっている。2016年12月に結愛ちゃんが一人で歩いているところを香川県警が保護し、児童相談所が対応、医師の診断では日常的な身体的虐待があるとされた。
その後、一時帰宅するも再度保護されるが、条件付きで一時保護は解除された。児童相談所では、結愛ちゃんが怪我をしていることや継父である雄大氏から殴られたり蹴られたりするという報告があったものの、保護者はやっていない、よく嘘をつくようになったなどと否定していた。
そして、2017年末頃になると、東京へ引っ越すと保護者らは言うようになり、転居先などを児童相談所など関係先には頑なに明かさなかった。重大な事案であるため、転居先を調べ、目黒区を管轄する品川児童相談所に連絡し、すぐに家庭訪問で結愛ちゃんに面会するよう求めたが、当の児童相談所は保護者に拒否されたことを理由に、何の措置も講じなかった。
2018年1月頃から雄大氏の暴力は酷くなり、食事なども十分には与えなかった。母親は自分に累が及ぶことを恐れ、見て見ぬ振りをした。
2018年3月2日、病院に搬送された時は、死亡が確認されたのみであった。結愛ちゃんの身体には複数の痣などあり、5歳児の平均体重20キロに対し、12キロしかなかった。また、自ら立ち上がることもできないほどであり、オムツを履いていた。
児童虐待
児童虐待について児童相談所が対応した統計を見てみると、平成28年度でおよそ12万件、最も多いのが心理的虐待のおよそ6万3千件となるが、身体的虐待およそ3万2千件、育児放棄などのネグレクトおよそ2万5千件、性的虐待およそ1600件となっていて、年々増加傾向にある。
また、警察の発表を見てみると、こうした児童虐待で逮捕となるのは年1000件ほど、被害児童はおよそ1100人で、60~70人が死んでいる。
結愛ちゃんの継父であり今回逮捕起訴されている雄大氏は、各報道機関によれば、目黒区に引っ越す前にいた香川県当時、結愛ちゃんへの暴力で2度逮捕されているそうだが、2度とも不起訴処分、つまり無罪放免となっている。
つまり、警察に逮捕されたとしても、検察の段階で不起訴となる事例があるということだ。
私は20代前半から児童虐待についての問題で、救助活動を行ってきており、T.I.U.総合探偵社は、子供のいじめ無償調査をいろいろ取り上げても らい、少しは世間の方々に知ってもらうところになってきたが、発足当初から「児童虐待についての調査及び救助に関する活動」は、私のライフワークでもある ことから、無償対応枠を持っている。
だからこそ、児童相談所や地域行政の怠慢対応、司法判断の甘さ、そして再発した時の卑劣さ、虐待事件を起こす保護者の背景についての問題や親権の強さを身に染みるほど感じている。
そして、世間や大人社会がこの問題に、熱し易く冷めやすい傾向があることも知っている。
頭でっかちで、お上がやってくれる精神の大人たちが、児童相談所が動いてくれる、そういうシステムになっている、親権の停止や分離も要件を満たせば できると、現場の問題や虐待を行う保護者が激しく抵抗してくることも知らずに立派な顔をして薄っぺらい知識をひけらかすのを何度も見てきた。
あるSNSで救いを求めた子を何とか救おうと動いた時、保護者が激しく抵抗してくることが予測され、児童相談所が機能しないことが見えていた時、私が民間の活動団体の支援を求めたおり、現実を知らない大人たちに大批判と吊し上げをされたこともある。
”十数年もこの問題をやっている人間として知識が無さ過ぎる。”
”探偵ごときが何ができる結局金だろ?”
結果、彼らが児童相談所(以下「児相」という)に通告、児相から保護者に問い合わせ、1ヶ月の軟禁状態となった少女は、私と私が支援を求めた民間の活動団体による呼びかけにより近隣住民が警察に通報してくれたことで、保護された。
私が知る限り、児童虐待についての現場をよく知る活動家は多くはないし、児相が積極的に動くなどということは無い。
実母である優里氏がまだ船戸姓ではなかった頃、二人でよく出掛け、裕福でないまでも互いに「大好き」と言って憚らなかった事実がある。
多くの離婚事案で子が幼児であるときは、問答無用で親権者は母親になるものだが、親権者についての争いがなかったと聞く、その理由は結愛ちゃんもよく母親に懐いていたし、とても仲が良かったからだ。
その母子関係が崩れたのは、再婚を契機にと言っても過言ではないだろう。虐待自体は、優里氏が雄大氏の子を身ごもってから本格化してきており、子の誕生を契機に激しさを増している。
そして、 目黒区東が丘のアパートに引越しをしてからであるが、近隣住民は結愛ちゃんの存在をほとんど知らなかった。
ベランダに放置されていたことがわかったのは遺体の足に霜焼けがあったからであり、そうした目撃情報があったわけではない。また、児相職員が周囲に話を聞いたり、様子を確認しようとした痕跡もなかった。また、地域にある飲食店のアルバイトさんによれば、船戸容疑者は見たことがあるということであったが、あとでレシートを見たら、座席は3人分で1人は乳幼児であったというから、結愛ちゃんを抜きに夫婦らで外食をしていたわけだ。
結愛ちゃんの衰弱状態はその死因を聞けばわかるが、過度の栄養失調であり、その他寒空での放置や暴力などを副因として肺炎を起こし敗血症(全身に細菌が周り抵抗力がない状態)であるから、目黒区に来てから食事はほとんどしていないに近いと言える。
つまり、頼みの綱は、香川県の児相から重大事案だから動いてくださいと頼まれていた品川児童相談所で あり、その職員らであった。 東京だから住人らの横のつながりが薄いという短絡的な決めつけはなく、加害保護者らは、香川県当時、結愛ちゃんを外に追い出したり放置すると、警察に保護 されて結果的に一時保護になることを学習しており、道に出ることができないベランダに置物のように放置していたのである。そして、暴力で痛いと泣くなどす ると通報されることから、密室で泣くことなどを許さなかった。
その頼みの綱の児相が、加害保護者を見誤り、信頼関係を構築しようとしたというのは、事件となり注目を浴びて、世間からの非難を恐れて思わず出た言い訳にすぎないだろう。
実際は、形式的な訪問しかしていない。
つまり、重大事案としての動きは確認できないのだ。
彼らの姿勢は、支援を求めてくれば助ける、警察などから事件性がすでにあって通報された場合は対処するであり、その場合でも一時保護については親権者の意思確認に重きを置くのである。
だから、日常的に児童虐待を行う者で虐待を正当化している虐待親には、児相は全く機能しない存在と言えるのだ。
厳罰化が最善策とは限らない
結愛ちゃんの事件は警視庁が冒頭に載せた、いわゆる反省文を公開して、多くの大人たちの心を動かし、児童虐待について意識の高まりの兆しが見えてき た。私は児童虐待の現場で、よく地域の現場警察官と話をするが、特に児相の動かない職員らと話したあとだと、そのマトモさに少し心を取り戻すことがあ る、、、。
ただ世の常、こうなると厳罰化を短絡的に政治家が決めていこうとするが、単に厳罰化するのでは、密室で起きること、乳児・幼児が被害を受けやすいことや親子間で起きることだけに、実態の隠蔽がさらに起きることが懸念される。
できれば、ここには高度な工夫がなければならないだろう。その点は、専門家もいるだろうから任せたいと思うが、厳罰化というか、死を十分予測出来たのにその行為を続けたことを「保護責任者遺棄致死」とか「傷害致死」のように「致死」にするのではなく、「殺人罪」の適用もあるとするなど、法整備をしてもらいたい。
また、実際、児童相談所は専門性が高く、担当する受け持ち数はとんでもないほど数がある。だから、まずは職員を増やすことやその教育も大事だし、警察との連携を含め、地域の活動団体など民間の力も借りるべきだろう。
一方で、最悪の事態が起きないための水際対策や各地域での差をなくす必要がある。
命は失われれば戻ることはない。復活の呪文も教会での復活もゲームじゃあるまいし、現実には絶対にないのだ。失われた命は戻らない。
生きていたとしても、傷ついた心は一生抱えて生きていかなければならない、乗り越えたと思っても、今度は自分が加害者になるのではないかと苦しむことだってある。虐待は心をも殺すのだ。
もう結愛ちゃんが笑うことはないし、元気に走り回ったり、友達と砂場で遊ぶことはない、成長して友達と喧嘩したり、好きな子ができたりすることもない。
ただ、きっと結愛ちゃんは実母である優里氏を好きだった。自分が悪い子だと思い込もうとしていた。わずか5歳ながら、必死で愛情を欲していた。だから、あの反省文を書いたのだ。
わずか5歳、覚えたばかりのひらがなで、まともな大人がみれば、「なんで?」と思うような内容だが、私には「愛して欲しい、抱きしめて欲しい」。そう書いてあるようにしか思えないのだ。
それが、多くの虐待事案で起きる被害者のジレンマでもあり、私のような者がさらに悲しいと思ってしまう壁のようなものだ。
どうかもう、こんな悲しい事件が起きないように、子供たちの死を、悲しい思いを、無駄にしないで欲しい。
image by: shutterstock.com
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