今日はすぐ近くも攻撃された。見に行く。一面、焼き尽くされたようだ。最初の数秒間、目に入ったのは灰とがれきだけで、死者はいないと思う。ロケット弾や戦闘機の音が聞こえると人々はすぐに隠れるからだ。そして数秒後、人の気配がする。
破壊されたビルから、4人の子どもを連れて出てくる女性が見えた。子どもたちは泣き叫んでいた。1人の子はノートか本を1冊抱えていた。たぶんコーランだろう。覚えていない。
・・・中略・・・
その場を離れようとした時、1人の子どもを運ぶホワイト・ヘルメット(シリア民間防衛隊)の隊員に会った。その子は友人の息子だった。私は急いでその子を受け取り、病院へ飛んで行った。
少年は私に固くしがみつき放そうとしなかった。病院へ入ったところで少年の写真を撮ろうとしたが、彼は私の手を放したがらなかった。どうにか片手をほどいたが、少年は私に向かって両手を伸ばし続けていた。私は心の中で泣いていた。
・・・中略・・・
私は病院へ向かった。ひどい状況になっていると分かっていたからだ。皆、丸1日食事を口にしていない。ある部屋に入ると遺体でいっぱいだった。昨日死んだ人の遺体もあれば、もっと前に亡くなったのに埋葬できずにいる遺体もあった。
病院にいる間にようやく2~3時間、眠った。数時間以内にまた同じ繰り返しが始まるのだ──戦闘機、爆撃、たる爆弾、負傷した市民、恐怖、家族のけがや死。でもまだ私は持ちこたえている。まだ出かけて写真を撮ることができる。どうしてか分からない….だが、できている。
しばらくして自宅の近所へ引き返した。ロシア機によって空爆されたのだ。人々が泣き叫んでいた。こういう状況にどう対処すればいいのか、皆、分からないのだ。私は仕事で人の死や破壊を追っているので、少しは分かっていた。ビルに近づいた。崩壊したビルの壁の間に少年と少女が挟まっていた。ぶらぶらと揺れている2人の脚が見えた。周りが安全かどうかを確かめてから、まず男の子を、それから女の子を引き出した。
がれきの下にまだ子どもがいると近所の人が叫ぶ。私はカメラを置き、彼らが指差す場所へと向かった。こういう場合、私は撮影をする時もあれば、救 助を手伝うこともある。決まったやり方は持っていない。直観に従うだけだ。子どもが1人閉じ込められていると民間防衛隊のボランティアたちが言ったが、 我々はその子の父親も発見した。父親は窒息死していた。子どもは生きていた。
犠牲者の数は今や300人を超えている。病院は死者や負傷者を数えることができずにいる。がれきの下に閉じ込められたままの人たちもいる。
民間防衛隊のボランティアは全力を尽くしているが、空爆のせいでたどり着けない地区がある。状況はとにかくひどい。神よ、われらを救いたまえ。
午後3時、これを書いている現時点まで編隊は空爆をやめていない。見逃された地区は一つもない。
ホワイト・ヘルメット(シリア民間防衛隊)は必死に頑張っている。彼らの車両の多くも破壊されているのに。非常に困難な事態だ。
人々は避難場所の中で身を縮めている。皆、ショックを受けている。私たちには何も理解できない。何もかも使えなくなっている。4日間の爆撃がもたらしたこの変化を私は信じることができないでいる。東グータ全域が変わり、消されてしまった。もはや道路はない。辺り一面はちりとがれきだ。そこを使っているのは救急車だけだ。
泣いても何にもならないだろうが、私は今日、泣いている。他に何も言うことができない。誰か、どうか、この殺りくを止めてくれ。どうか、誰かがここで起きていることを止めなければならないんだ!
だが、人生は続いている。今日は完全に破壊されたビルの下から4人の子どもたちを助け出した。ここで目撃してきたことは、決して忘れないだろう。もしも生き延びることができれば。
このコラムはシリアの首都ダマスカス東部を拠点とするフォトグラファー、アブドゥルモナム・イッサ(Abdulmonam Eassa)氏が、AFPキプロス・ニコシア(Nicosia)支局のサマル・ハズボーン(Samar Hazboun)記者、AFPパリ本社のヤナ・ドゥルギ(Yana Dlugy)記者と共同で執筆し、2018年2月26日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。
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